スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

鳩山氏の言動、そして死刑

私は、国家が人を殺すことを望みません。
何故なら、国家という組織は
国民が、自らの幸福の獲得に努力する際に
やむなく必要となるものであり、
それが負う責務は、国民に奉仕し、
国民の、幸福な生活を
実現させるものだと思うからです。

この規定にあてはめれば、国民の死に関しては、
国家は、最大に慎重に対処しばければならない、
という結論に達します。

鳩山氏には、国会議員として負う責務を理解しているのか?
また、法務大臣として、法務省を国民の視点から、
監督指導するだけの努力をしているのかという疑問があります。

有名な「アルカイダ」の件は、改めて書くとして
今回の死刑執行書へサインしたことに関して書きます。

鳩山氏は法務大臣のサインが無くても、
死刑が執行される方策はないのか?
と、発言して、物議をかもしだしました。

先に書いたとおり、私は死刑制度は望みませんが、
現行の死刑制度の最も、非人道的なことは
死刑判決は確定し、再審請求も却下されながら
何時、命を奪われるかを、犯人も、被害者の関係者も
知らされていないことです。

このことは、自らの死をもって、自身が犯した罪に
責任を取るという、ことから大きく逸脱し、
死刑囚に、判決が定めた以上の責めを負わし、
被害者の関係者から、裁判では得られない、
犯人自らの肉声を奪う行為です。

被害者の関係者の気持ちを、
たった一言で書くことは不可能ですが、
様々な気持ちの中で、共通することは
「何故、殺したのか?何故、その人だったのか?」
では、ないでしょうか。
裁判では、被告が犯した罪が、
どんな刑罰に値するかを審議します。
何故殺したのかという視点も
「計画性の有無」に置き換えられます。
無論、司法の判断が、その論理に置き換えるかの
合法性や、法の下の平等の視点から、異論はありません。

しかし、死を、どう受け止めるかは、個々の問題であり、
裁判で、すべてが解決はしません。
被害者側のみならず、加害者の関係者にとってもそうです。

再三書きますが、死刑には反対です、
しかし、それが確定した後のことも、
「法の下の平等」と同じく、
死刑囚本人、関係者一同にとって
平等でなければなりません。

長い記事となりましたが、
鳩山法務大臣の言動は、自分が負う責務からの
逃避であり、決して、死刑制度の見直しを
もっているとは考えられません。

端的に言って、法務大臣に任免されたが
外国人登録の仕組みすら予習せずに、
来日する外国人の指紋採取に関する
スピーチをする。
あげくに「アルカイダ」発言

今回の、死刑囚の氏名公表も
自らが署名したことの気持ちの重さを
誰かに共有して欲しいという、甘えに感じます。





スポンサーサイト

2007年12月09日 愚かさ トラックバック:0 コメント:0












管理者にだけ公開する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。