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死刑制度

私は、死刑制度に反対します。
その主たる理由は、「死刑」は、誰にも、何も、もたらさないからです。
まず、被害者、及び、関係者に何も、もたらしません。
例えば、私の最愛の人が殺されたとします。犯人が逮捕、起訴され、
長い裁判の末、死刑が執行されたとします、私は、一時的には、
復讐を果たした気持ちになるかもしれません。
でも、やがて気付きます。最愛の人は戻ってこないし、自分の人生は時間軸にそって
進んでいくのだから、自分が生きていくことは止められない。
どうしても、最愛の人がいない世界を受け入れら得ないなら、自らも死ぬしか無い。

犯人と確定された本人は、ある意味、納得し、安堵するかも知れません。
人は自分が起こした何かに対して、何かの評価を望みます、自然な感情として。
自分がやったことを、殺人と公に認められて、死刑まで確定すれば、ある納得はあるでしょう。
しかし、その納得は、死者にも、関係者にも、関係ない自己完結的なものです。

例外がひとつ、その犯人の親、または、親と等しいほど、
その人を愛している人には耐え難いでしょう。しかし、この感情を社会のルールに当てはめると、
ある犯罪が起きたとします、その犯罪者を愛している人が「この人は、魔が差しただけで
二度と、犯罪は起こさせません」という発言で判決が変わるとすれば
全ての犯罪者は、真摯に反省し、再犯しないという前提に、社会が動くことになります。
このことは被害者にとっては、許し難いことであり、非現実的であり、社会の根幹を揺るがせます。
よって、心情としては理解出来てもルールに当てはめることは、困難かと思います。

死刑制度が、犯罪の抑止効果を生まないことは、事実が証明しています。
凶悪犯は増えこすれ、減ってはいません。

駐車違反の摘発、刑罰の強化に取り組んだ成果は出ています。
それは、駐車違反をする人には、その瞬間「違法行為だ」という自覚があり、
検挙された結果が想像されるからです。

逆に、同じ交通違反でも飲酒運転が無くならない理由は、運転者自身は、
ハンドルを握る時点で飲酒していて、駐車違反のように自分を客観し出来ません。
欧州で使われている、飲酒者の吐息からアルコールが検知されるとエンジンが掛からない車の
導入が、このことの実証を示しています。

不謹慎な例え話ですが、殺人は、交通違反における、飲酒運転の状態、つまり、
自分の客観視出来ない状況にある可能性が高いということです。
よって、死刑制度が、犯罪抑止には、なりません。多くの人が飲酒運転が違法であり、
現実に危険なものと知っていても無くならないように、人を殺すことを、良かれと思っている人は
少ないでしょうし、もし、そう思っていない人は、すでに社会的にはに酩酊しているのかも知れません。

この記事を書くキッカケは、杉浦法務大臣の発言からです。彼の言葉は
「自動的に死刑は執行されるべき」と、とれえられているようですが、
本人の意志はそうではないとも聞きます。

何故、私が、この発言から、この記事を書くかと言えば、死刑の無意味さを感じている私に
もうひとつ感じる不条理があります。それは、死刑を待つ、犯人の気持ちは、その人が犯した罪への
あがないを超える苦痛だと思うからです。

何故、法務大臣のサインがいるかを、私はこう考えています。三権分立の日本に置いては、
立法府が、国民の意思を代弁するという意味において、司法、行政より、優位な立場にあります。
各大臣は、立法府の代表である内閣総理大臣に指名されています。
つまり、間接的ですが、国民の意思を代弁する立場にいます。
死刑という、最も思い刑罰の執行に対して、司法が、国民に最終確認を求めているのが
法務大臣のサインだと理解しています。

ここで、改めて、裁判のやり直しを、するべきかどうかを問うてはいないし、
もし、そういう意味なら司法の独立が揺らぎます。

よって、このサインは、死刑囚がたどってきた道を、最終的に見直し、
違法性がなかったかの確認だと考えています。

立法府が関わるもう一つの理由は、多くの裁判には長い年月を要します、その間に
国家や国民の価値観が変わった仮定します。しかし、その変化に対応する法は、まだ成立していない、
たった今、国会で審議されていたり、まもなく、そうなるであろうことがあった場合、
死刑を見直す必要が出ます。この機能は大事かと思います。

私の結論は、あくまでも死刑制度の廃止ですが、現状も、また許し難いと思います。
よって、暫定的には、法務大臣が死刑執行にサインする際の規定を決めることは大事だと思います。
例えば、冤罪にありがちな、初動捜査に関わった警察、検察のミス、このことが無かったかを
確認する為の、何らかの検証システム、また、先に述べた、日本社会の価値観に関わることが
起きてはいないかという、確認、特に死刑判決の背後に時代性がある場合には、必要でしょう。
本来あるべき半年後の死刑執行に向けて、これらのことを、行政のシステムに盛り込むことが
必要なだけだと思います。
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2007年10月16日 政治 トラックバック:0 コメント:0












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