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テロと戦う、その前に…

先ほど、テレビ番組で、「テロとの戦い」に関して、議論がかわされていました。
テロを巡っては、様々な要素があり、決着はつきませんでしたが、
忘れてはいけないことがあると思うのです。
「人を殺したくは無い、殺されたくも無い」という単純な感覚です。
特に、幸せな生活を送るために作られた「国家」という仕組みが人を殺すことは
その成立の理由と矛盾します。
先の番組で、ペルシャ湾の治安を守らなければ、石油が安定して供給されない、
その為の警備に、自衛隊は参加出来ないから、せめて、給油活動をしているのだ
と、石破防衛大臣が言っていました。
確かに、石油がなければ、この国は成り立たないでしょう。
でも、そのために人が死んでもいいとは言いたくない、私は。
誰かが死ななければ、石油が手に入らないなら、人を殺す前に、
石油の必要が無い社会が作れないか?
命を差し出さなくても石油を手に入れる方法はないのか?
タンカーを襲う人達と話す機会はないのか?
「戦う」つまり「死ぬこと、殺すこと」を前提に石油を手に入れる前に、
もう少し考えませんか?
甘い考えです、机上の空論です、偽善かもしれません。でも、考える意義はあります。

太平洋戦争が終わって61年目、幸いにも、日本という国家は、
その意思で、人を殺してはいない、死刑を除けば(僕は死刑制度にも反対です)
この61年を大事にしたいのです、私は。
何故なら、戦争で、多くの人が死にました、日本人も、アメリカ人も、軍人も、民間人も、
そして、その死を、どう受け止めるかさえ、まだ、結論にはいたっていない、
残された人たちは、その死を記憶しています。
その上、また、誰かを殺せば、何か遺恨を残す。その遺恨が、次の死を呼ぶと思うのです。

もう誰にも死んで欲しくないし、誰も殺したくは無い、という当たり前のことを前提にして
自分が、国家が、生きていく道を探すことは、不可能ではないと思います。
そして、それを続けることが、何か、また、命を賭けなくてもいい状況を作る気がします。

最近、入手した情報で、愕然としました。それはすでに2名の自衛官が
テロ特措法に関わる行動の中で死亡されているそうです。
幸い、戦ってお亡くなりになったのではなく、事故死、病死、という発表のようですが、
事故原因や、病死が業務と関わりはなかったのか、きちんと調べてから、
新たな、国際貢献を考えても、遅くは無いと思います。
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2007年10月13日 政治 トラックバック:0 コメント:0












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