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私が経験した死

終戦記念日ですね。
(「敗戦」という言葉に重きを置かれる方の立場を無視はしていません。
 通例で、終戦と書かせて頂きます。)
僕が経験した死の話をします。
その中には、受け入れられたものと、今でも、受け入れられないものがあります。

まずは、祖父の死、まだ小学校のまんなか位でした。当時、私の家族や、叔父、叔母などいて
大家族でしたし、祖父が創設した会社に、関わることで、みな生計を立てていたこともあって、
祖父は「偉大な人」でした。ある日突然、祖父はいなくなり、数ヶ月して戻ってきましたが、
全く、別人のような、小柄な老人となっていました。今、思えば、末期ガンで、
死を自宅で迎える為の帰宅だったのだと思います。家族が祖父の部屋への出入りをしなくなったのに
私は、よく祖父の部屋へ行きました。その結果「偉大な人」と「小柄な老人」は私のなかでは
同一人物となり、「祖父の死」も実際の死を迎える前に、受け入れていた気がします。

次は、祖母の死です。彼女とは、あまり話したことがなかったのですが、敬虔なキリスト教徒で
教会に安置された遺体の側に、一晩にいて、「清廉な人」だったなと、思い出していました。
翌日、火葬にされ、遺骨は真っ白でした。外は、桜の花吹雪で、前日に感じた清廉さと
遺骨の白さ、桜の淡い色が合い混じって、祖母の死を、私は、映像として受け入れました。

大人になって、辛かった死としては、同じ年の友人が病死したことです。
彼とはある飲み屋で、出会い、その飲み屋も、店を開いてまもなく、オーナー店長と、
彼と私で、その店の「空気」を作り上げました。
日常の友人では無く、その飲み屋にいるときだけの友人でしたが、二人とも、
毎日通っていましたから、お互いに、気心はしれていました。
彼は一人暮らしで、家にいる時に病死し、数日後に、店に来ないことを不審に思った店長が
彼の家に行き、死体を発見しました。知らせを聞いて、耳を疑い、飲み友達が集まった、その店でも、
彼の死を受け止められずにいるものが多くいました。
翌日、初めて、彼の死体を見ました。それは、一緒に飲んでいた、朗らかな彼では無く、
見知らぬ、太った中年の男の死体でした。その時、ハッキリと私の気持ちは定まりました。
彼と過ごした、あの店は、今もある、ならば、何かの形で彼と、再会出来るという確信と、
飲み屋以外でも、当然暮らしていた、彼が死んだということが
まったく両立したのです。

今でも、受け入れきれない死があります。仕事仲間の自殺です。
彼は、仕事に誠意があり、理想を掲げていました。ただ、彼の求めていた理想は、
今も、実現にいたってはいませんし、誠意をもって、その仕事に従事する人が増えたり、
そうなる職場環境の整備も遅れています。

彼は、その後、同じ仕事ながら職場は変えました。その職場が彼の理想に近いと本人から聞きました。
地方で自殺し、そこで火葬にされ、職場も変わっていたので、彼の死体を見ることもなければ、
最後の職場で、何があったかを知る術もありませんでした。
彼の死を受け入れられない理由は、私が今も、彼と同じ仕事をしながら、前に進めていない
ことも、大きいのですが、振り返れば、私が彼の死体を見ていない、遺骨すら見ていない
ことも大きい気がします。

当然のことながら、死は受け入れがたいことではありますが、私のほんの少しの経験から
言えることは、死の直前に同席したり、死体を、ゆっくり見る時間があったり、
死にゆく人から、何かのメッセージを受けとれないと、残されたものが、死を受け入れることが、より困難で、切なく、やりきれないものとなるなということです。
先の戦争で、亡くなった方々の遺骨の収集や、生き残った方々が、最後の戦いを語られることは
とても大事なことだと、改めて、思います。
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2007年08月15日 期待 トラックバック:0 コメント:0












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