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残された、被害者の家族の気持ち、とは?

宮崎勤死刑囚の刑が執行されました。

「やったことから考えれば死刑で当然」
「被害者の気持ちを考えれば死刑しかない」
この二つの言葉が、何の裏付けもないまま、横行しています。

死刑制度存続を訴える方々には、「被害者の家族の気持ち」
を考えれば、当然と言われる方が多いかと思います。

しかし、犯人が死刑になっても、「被害者の家族の気持ち」は
救われないと思います。ただ、収まりきれない気持ちの遺族に
「死刑」or「無期懲役」と、問えば「死刑」と答えるしか無い
ってだけでしょう。

人は事故や病気でも死にます。残された家族は、その際にもいます。
そんなときに、事故の加害者や、医師を「死刑」にと望まれますかね。
望んだとしても、そんな法は無いし、自ら実行すれば、
また、殺人者の家族が増えます。

私は、近しい人を、殺されたことは、ありませんが、自殺も含め
大事な人の死を経験しました。
何故、助けられなかったのか?と思うことはあります。
しかし、同じ事故は減らせても、死んだ人は帰ってきません。

結局、何かの折々に、少しずつ「死」を、受け容れていくしか
ありませんでした。

殺人で、大切な人を亡くした人に、僕のような死の受け入れかたを
押しつける気は、全くありません。

ただ、現実を見て、将来を語れば、人を殺すと思うほど、
誰かを追いつめては、いけないということかと思います。

そもそも、死刑になった人にも家族はいます。
その人たちと被害者の家族は、同じく、死を受け容れるという
困難な日々を強いられます。

そこまで考えなければ、殺人は減らないと考えています。
この考えって、単なる思いつきですか?
エセ、ヒューマニズムですか?

私は、誰にも、予期せぬ死が訪れないことを願っています。
それでしか、残された家族の気持ちは、救われないと思います。

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2008年06月20日 考える トラックバック:0 コメント:0












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