スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

愚かなこと

1:守屋事務次官の国会での証人尋問
国会議員、国務大臣のみなさん、
日頃の答弁を書いてもらっている人を、国会に呼んで、
何か、勝算はあったのでしょうか?

いくら声を荒げて、
「あなたが、答弁の下書きを書いたのだから、知らない筈は無い!」
と言っても、答弁した本人に、責任が及ぶことを予見しなかったのですか?

彼を国会に呼べば、「ある政治家が同席しました」
という、彼の巧妙な、脅しにあうことを
歴代の防衛庁長官、総理を含む、閣僚経験者のみなさんは
予見されなかったのでしょうか?

2:八十万ガロン、二十万ガロン
軍隊は、例え、自国の国民にも語れない秘密があります。
そうでなければ、国土も、国民も守れません。
特に、今も、戦闘状態にある、米軍には。

その上、世界で唯一、イージス艦の情報をもらっておきながら、
簡単に漏洩される日本に、例え、日本の総理と、
米大統領の間だけでいいから、米軍の行動の詳細を
教えてくれといっても、
米国国民の安全を第一と考える米大統領が、
何を語れると思っているのですか?

改憲や、自衛隊を正規の軍隊にしたいと言っている
お偉方は、「軍隊」って組織の維持には、常に「秘密」が
伴うことを、知りませんとは言わせませんよ。

3:国家公務員に対し、退職金を強制的に返納させる制度の検討
どうせ、この法案も、いわゆる「事務方」に書いてもらうのでしょう?
なら、彼らに有利な、でも国会では問題視されない法案を作るに
決まっているじゃないですか?
規則を作れば、裏をかく人間が出ることを、守屋氏の一件で、
学ばなかったんですか?

4:CX
自衛隊並びに防衛省が、進めている計画は
守屋氏への質問で、国会議員が、初めて聞いた言葉のように使った
「CX」だけでは、ありません。
次期戦闘機、次期主力戦車などなど、
まだまだ、沢山、疑惑のある計画はありますよ。
そもそも、自衛隊の現状や、国防を具体的に語れる国会議員は
いらっしゃるのですか?
いくら石破氏が「軍事オタク」で有名でも、
日本の将来を、すべて彼に託せませんよ。
スポンサーサイト

2007年10月30日 政治 トラックバック:0 コメント:0

どんな軍隊がお望みですか?

国には国民や国土を守る義務があるのだから、国防軍があって当たり前。
という意味の言葉を、多くの方々から聞くようになった気がしています。

そういう意志をお持ちの方は、具体的には、
どんな軍隊が、お望みなのでしょうか?
あまり、具体論を聞いたことがありません。
この記事を読まれた方々で、具体的なご意見をお持ちの方は、
是非、コメントを寄せて下さい。

私は、どんな形であれ、軍隊を持つことに反対ですが、
いつのまにやら、少々、軍事的な知識が増えました。
そこで、国防軍を望む方々の、ご意見も頂きながら、
私なりに、現実的な国防軍を描いてみます。

基本的に、軍隊は仮想敵国を想定して、軍備や訓練を考えます。
ここでは、わかりやすく、北朝鮮としましょう。
あの国がやったことの中で、「拉致」は見逃せませんよね。
これ以上、拉致される国民を出さないためには、
どんな作戦が必要だと思いますか?
過去の拉致の手口から、日本海側の海岸沿いで、工作員に拉致され、
いわゆる工作船に乗せられたケースが多いようですが、まずは、
この行為を防ぐことを具体的に考えて見ましょう。

平成14年、海上保安庁が北朝鮮のものと考えられる工作船を
銃撃戦の上、確保しました。
あの、内部に小型船を搭載したものが標準的な北朝鮮の工作船だとすると
小型であることと、木製であることから、
一般的な軍事用のレーダーや哨戒用の航空機では、発見が困難です。

もう二度と、拉致被害者を出さないために、工作船の発見に万を記すためには
海岸線で、肉眼、望遠鏡、及び、それにあった暗視装置を装備した人員を
この長い、日本の海岸線に、数百メートルおきに配置し、
24時間の監視が必要です。
以下の数字は、馬鹿みたいに大きな数字ですが、
万難を排して計算してみました。

ある資料では、日本の海岸線は約3万キロ、日本海側を、その半分と仮定して
1万5千キロ、500メートルおきに監視ポイントを作れば、3万カ所、
2名が3交代で勤務して、2名かける、3交代かける3万カ所で、18万人。

現在の陸自の定数が約13万のところを、満たしていなくて、
約12万人ですから、かなりの増員が必要ですね。

さて、この人数は監視員のみですから、工作船を発見して、
拿捕するのに、仮に、4ポイントに1隻、つまり2キロおきに
、船を用意し、同じく3交代で
その乗り組み員が10名として(海自が持つミサイル艇が定数11名)
7千5百カ所かける10名かける3交代で、約22万5千人と
7千5百の艦艇が必要となります。
現状の海自の規模が約4万人、約150隻の艦艇ですから、
これまた、かなりな増員ですね。

こういう莫大な投資をしない為に、核の傘「日米安保」
があるという方もあるでしょうが、
拉致事件は、戦後、つまり、核の傘の下で起きたのです。

いま、算出した数字は、大げさかもしれませんが、
機能しない国防軍なら、持っても意味は無いと思いますが、
国防軍が必要だとお考えの方々は、どう思われます?
別に軍事に詳しくない方でも、「これが出来てこそ、国防軍」という
目標は、お持ちでしょうから、是非、コメントを下さい。

ちなみに、空自は、北朝鮮を仮想的国にすれば、
現状で何の問題もないでしょう。
来年には、待望の空中給油も可能になり、やる気になれば、
北朝鮮本土への攻撃も可能ですからね。

2007年10月29日 政治 トラックバック:0 コメント:0

憲法第12条「国民の不断の努力」で勝ち得ること

常々、私は、いわゆる「小さな政府」を選ぶ方が、
日本という、江戸時代に「飼い慣らされた」国民が
取るべき道ではないかと思っています。

例えば、年金問題、誰がいつ払ったかの記録が定かでは無い現状
これは、税金という我々が払った金銭で生活しながら、仕事をしていなかった
多くの公務員がいたということですよね。

ならば、彼らに金を払って期待するより、「書留」「配達記録」といった
確実に個人へ配達される方法で、年金の領収書を配布し、
この記録は、役所では記録しませんと
明記しておけばよかったのではないでしょうか?

そのかわり、年金に関わる公務員を減らし、税金の使い道を他にまわす、
この方が、「どこに責任があるか?」という疑問には明確に答えられます。
また、その分の税金を、何かに回せます。

年金に老後の生活をゆだねる方々は、その郵便物をキッチリ保管する。
期待していない方は、ルーズに扱う代わりに、年金にも期待しない。
共有できることは、公務員に払う税金が節約できるということです。

たった今、問題になっている「C型肝炎」の問題も、同様なやり方はあります。
厚労省に、患者の個人特定を出来る資料が眠っていたり、製薬会社には
もっと、多くの資料があったことがわかってきました。

これも、カルテ管理を医療機関に100%依存して、
その機関の管理も役所に依存するのを止めて、
カルテの作成時に、必ず、複製を作り、個人に渡すことを
法制化すればいいのではないでしょうか?
無論、現在でもカルテ開示を請求する権利を我々が持っていますが、
それが確実に残っているかは疑問です。
このことは、医療裁判にも生かされることです。
記録保全に関わる公務員を減らすことと、保管費用がなくなることで、
現在の保険料の中で、この変更に伴う費用を収めることは、
無理難題ではないと推測します。

この仕組みでは、個人への負担が増えますが、
『第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。』
と憲法にありますから、そもそも、当然のことです。

「C型肝炎」の問題」のように、今現在、そして将来に不安がある方々には
国家になにがしかの請求を求める権利はあり、
国家もそれに答える義務があると考えます。

私の提案は、今後の日本を考えてのことです。
このことは誤解なさらないで下さい。

国債の発行に依存する国家のあり方、
公共投資や、役所も含んだ、大企業の存続で、国民が食べていくという
異例なことは、止めるべきです。どう考えても、高齢化社会で
税収が増えるとは思えませんし、福祉や医療への税金の投入は必要でしょう。

普通の家庭で家計簿をにらんだときに、主婦が決断することは、
無駄を省くということ、次には、必要ではあろうが、金額は抑えなければ
ならないことを選択し、具体化することでしょう。

国家でも、同様の考えを持つことは可能です。
「国家百年の計」を考えて、今は、無駄に見えても
使わなければならないこともある、という方々もいるでしょう。
それは家計でも同じです。教育費は、正に、それにあたります。

国家と家庭の違いは、具体的なお札や硬貨を、
それを生み出した人や家族が数えて、計画を練るのと、
自分が生み出した感覚を持つことが容易では無い、国家予算を
なおかつ、印刷された、具体的には感じにくい形で、
家計と同じ、ある切迫感を持って考えていけるかということです。

最後に、確認しますが、今まで書いたことは、
「国民の不断の努力」を前提としています。
このことが崩れれば、全ては崩れます。

2007年10月22日 政治 トラックバック:0 コメント:0

サンデーモーニング 10月21日の放送から

今朝、TBSの「サンデーモーニング」を見ていました。
最後のコーナーで、「日本の国際貢献とは?」という趣旨で、
出演者が、一言言って、番組の締めとなりました。
それらの意見が、非常に的を得たものだったので、
ここに、引用します。
(お名前を併記したかったのですが、番組HPに記載がありませんでした。
出演者のみなさんには、失礼します)

1:憲法9条をもつ国としての国際貢献
まず、9条を持った国家であるという国際的な認知度が低い、
これを、国際的に示し、その上で具体論に展開していくべき、
というご意見

もっともなことだと思います。例えば、陸自の英語表現は
Japan ground self defense force
ですが、forceはすでに「軍」と訳されるので、当たり前ながら
軍隊と認知されます。また、defenseの中には、すでにselfは
含まれますので、外電で、Japan army という表記もみましたが、
当然なことながら、やはり、認識されていないなとがっかりした記憶があります。

2:すでに国際社会の一員であるので、内政、外交の充実も、国際貢献

これは、このブログのタイトル「日本は世界の孤児となる」
と重なる考えと、とらえ、私自身の独りよがりではないことが
確認できましたが、残念なことでもあります。
例えば、北朝鮮に関わる外交で、実際には、テーブルからはずれている
といっても致し方がない状況ですが、これが日本の外交力の
低さを示しています。
また、インド洋の給油問題で、アメリカから、わざわざ声明がでましたが、
その声明の冒頭部、「イラク戦には使用していない」だけを政府は、
強調していますが、後半の、何処で、どの燃料が使用されたかを特定できない
とあります。もし、私が与党の一員なら、逆にこの部分を利用しますね、
野党が追及する、「イラク戦に使用されていないか?」に対して、
アメリカが声明を出した以上、「使用されていない」し、軍事行動の限界点で
「詳細を追うことは不可能」と開き直りますがね。(笑い)

3:日本にしか出来ないこと、高い技術力などの輸出も、国際貢献

これは、「2」の具体化と言えますが、すでに、実現されていることでもあります。
無論、すべてではありませんが、政府、特に高官と呼ばれる方々は、
役人が作った資料を読むのでは無く、日本が政治、経済で何を根幹としているのか、
また、それらが国際社会で、どう展開しているかを認識し、
国内にも、国際社会にも、強く示す必要があると考えます。
何故なら、そのことがなされていないから、国際貢献イコール自衛隊海岸派遣
という、ことになってしまうのです。
「お金ではなく、汗をかく、show the flag 」
は、自衛隊派遣のみを示すのではありません。
すでに、国際貢献に関わっていらっしゃる方々へ無礼です。

4:そもそも、9条と自衛隊の矛盾が、混乱の原因なので、それを整理する。

まさに、その通りです。具体的には、こんなことを僕は考えています。
すでに、多数の隊員と、その家族の暮らしを、自衛隊に、ゆだねている以上、
簡単に解散は出来ないし、装備を破棄することも、無駄となります。
そこで、「3」の具体化として、国際、国内の災害復旧組織
と改変することを提起します。
具体的には、何か災害が起きるたびに目にする、スイスの災害救助犬のように、
高い機動力を持った部隊を現地に派遣し、まさに、show the flag をすれば
良いのです。無論、国内もそうです。

まさに、的を得た番組でした。

2007年10月21日 政治 トラックバック:0 コメント:0

正論は容易い

今回の記事は、私自身のブログへの自戒の念を含みます。
亀田家のボクシングに対する姿勢が、不自然とは、漠として思っていました。
私は、スポーツ観戦をほとんどしませんが、ボクシングという種目を
いわゆる異種格闘技と比して、歴史が深く、ルールが厳格だと思っていました。

その程度の認識しか無い私にもわかる不自然さに、マスコミが関与している
もっと言えば、利用しているという言葉を聞きました。

先日来の亀田家の謝罪が、ファンの納得を得ていないことを
マスコミは指摘していますが、自らが関与したかも知れないということへの
懐疑の念は感じられません。

マスコミは、ある時は視聴率を全面に押し出すこともあれば、
その数字をデフォルメして、次の企画に利用しています。

例えば、「赤福」の一件でも、
「何故、老舗が、こんな愚かなことを」と言った口調で報じていますが、
そもそも、「赤福」は単一商品で利益を得るという、経済の常識として
リスクのある経営を余儀なくされていたと思います。
また老舗ゆえの、いわゆるリストラを使ったコストダウンも
困難だったのかと思います。
三代目が老舗を潰すといいますが、この視点にたてば、
「赤福」事件は、当然予想されたことで、マスコミ各社が
正論だけで、責めることへの疑問は禁じ得ません。

兵庫県での女子殺害事件でも、各局争って、独自の証言をとることに
執着があるようですが、逆に言えば、それだけの情報収集力があるなら、
「疑惑の男」などの企画で、あの地域を公にしていれば
今回の事件も防げたかも知れません。

以上に書いたこと自体、正論です。
唯一言えることは、情報を得たもの、
また、情報を発信出来る可能性のあるものには、
その特色を真摯に考え直す必要があるのではないでしょうか?

2007年10月19日 政治 トラックバック:0 コメント:0

再度「元から絶たなきゃダメ」

「過剰な期待」でふれた、兵庫県のエスカレーター事故で
私が予想しなかった事実が判明しました。
先に書いたとおり、登りエスカレーターと天井の間に挟まれる事故は
予想されているので、予め予防策がとられています。
しかし、今回の事件では、その予防策が有効かどうか実証されません。
何故なら「建築基準法」で定められた基準を、満たしていなかったからです。
私は、2007年3月30日付けで
「元から絶たなきゃダメ」という記事を書いています。
その中では、いかに素晴らしい建築基準法を作っても、
それが遵守されているかを監督する機能
そして、違反に対する罰則や改善命令がなければ、
何の意味もないことを書きました。

今回の事故では、図面でなければ説明しにくいのですが、
体を挟まれないようにする三角形の板が、
約20cm短かったことがわかりました。
この店舗は、単に建築申請の段階で、建築基準法を満たしていたのみならず、
完成後も、関係省庁の検査を受けており、店舗側のコメントでは、
いずれの段階でも、違法性を指摘されなかったと言っています。

私が、この記事で書きたいことは、建築基準法を満たした建物で起きた
事故なら、法の見直しなどが、出来ますが、
そもそも基準を満たしていない施設での事故なので、
責任が、あやふやになることと、
その基準が果たして有効なものだったかが検証できないこと、
これらのことから、やはり「元から絶たなきゃダメ」なことは、
きちんとやりましょう、という再提案です。

もし、私が以前書いたように、建築基準法を監督する省庁があれば、
事故は防げなかったとしても再発防止策は検討できますし、
責任も明確になります。

この子のご両親や親族は、今、祈るような気持ちで、
看病されているでしょうし、治療に関わる医師達も、必死でしょう。
この子の命がどうなるにせよ、
ご両親は、その結果を受け容れなければならない日が来ます。
その時、基準を満たしていないのに、どの役所も指摘しなかった、
という事実から、誰に責任を求めればわからないと言う苦しみが生まれます。
また、もし基準を満たしていれば、より良い結果が望めたかもしれない、
という思いも、棄てきれないと思います。

時間は戻れませんが、いわゆる姉歯事件で、
建築基準法が根本から見直されていれば、
事故は防げなくても、被害者の心を、少しは救えたかもしれません。

2007年10月17日 政治 トラックバック:0 コメント:0

過剰な期待

過剰な期待

今から書くことは自戒をこめたことです。
他者や、組織、国家などに「過剰な期待」を持ってはいないかという
疑問の提示です。
相撲の世界で、次々と問題が起きていますね、
まずは、朝青龍の件ですが、外国人力士の受け入れには、
まず、相撲取りになろうという日本人の減少と、強い力士が欲しい、
そういう力士が生まれれば、相撲界の発展に繋がると考えられたのだと推測します。
しかし、「国技」と相撲協会が自負する世界に、
国籍も、教育環境も違う人を入れた場合に、
何か問題が起きるかもしれないという予測が出来なかったのか、
もしくは、予測はしたが、具体策をとるまでもないと判断したかの根拠は
、修行中に、技と心を磨けるに違いないという
根拠の無い「過剰な期待」があったのではないでしょうか?
相撲と並ぶ、伝統的な世界に歌舞伎や能、狂言がありますが、
趣味や研究の範囲を超えて
外国人を演じてには、していません。無論、相撲と違って
顔の作りが違っては困るという事情もありますが、
やはり、歌舞伎の世界が負っている伝統にそぐわないという認識が
強くあるからではないでしょうか?逆に言えば、
梨園の妻と言われる方々のご苦労が、それを表している気がします。
作家の内舘さんが、「まず、相撲協会は、何が大事なのか、自ら決めなければ、
問題は解決しない」
といった趣旨のことを雑誌に書いていらっしゃいました。
まさにその通りで、「強くて、角界の常識を守れて、人気のとれる人が欲しいです」という、「過剰な期待」から、決別しなければ、ならないということです。

亀田家の問題も、そうです。何故、あんな試合展開になったかと言えば、
息子達を強い選手にしたいという素朴な願いいが、
やや異色なボクサーを作り上げた。
その異色さが、マスコミの目に止まり、父親も息子達も、
「亀田流での絶対の勝利」を期待してしまった、これが「過剰な期待」です。
試合後の言葉が、今も、彼らが「過剰な期待」を持っていることを示しています。
規則違反の攻撃を指示したことを「亀田流の言葉だ」という弁明で
解決できるという感覚をもった兄、
「自分は、ともかく、息子への1年のライセンス停止は重すぎる」という、
あくまでも亀田家中心主義とでもいう、「過剰な期待」から、
今も抜け切れていない、父親。

昨日、エスカレーターで、子供が重傷をおったというニュースを聞きました。
事実関係も定かで無い、今、早急すぎる話ですが、ご両親から、建物の管理者へ
「過剰な期待」を持って、「安全管理がなっていない!」
という言葉がでなければよいのだがという老婆心が起きます。
昨日、手に入った情報では、すでに、危険だと認知され対処法も定められた、
登りエスカレーターと、天井に挟まれるという事故に、
また、何か新しい決まりが出来るということは、「過剰な期待」だと思います。
どんな対策も、100%安全では無いからです。

2007年10月17日 政治 トラックバック:0 コメント:0

死刑制度

私は、死刑制度に反対します。
その主たる理由は、「死刑」は、誰にも、何も、もたらさないからです。
まず、被害者、及び、関係者に何も、もたらしません。
例えば、私の最愛の人が殺されたとします。犯人が逮捕、起訴され、
長い裁判の末、死刑が執行されたとします、私は、一時的には、
復讐を果たした気持ちになるかもしれません。
でも、やがて気付きます。最愛の人は戻ってこないし、自分の人生は時間軸にそって
進んでいくのだから、自分が生きていくことは止められない。
どうしても、最愛の人がいない世界を受け入れら得ないなら、自らも死ぬしか無い。

犯人と確定された本人は、ある意味、納得し、安堵するかも知れません。
人は自分が起こした何かに対して、何かの評価を望みます、自然な感情として。
自分がやったことを、殺人と公に認められて、死刑まで確定すれば、ある納得はあるでしょう。
しかし、その納得は、死者にも、関係者にも、関係ない自己完結的なものです。

例外がひとつ、その犯人の親、または、親と等しいほど、
その人を愛している人には耐え難いでしょう。しかし、この感情を社会のルールに当てはめると、
ある犯罪が起きたとします、その犯罪者を愛している人が「この人は、魔が差しただけで
二度と、犯罪は起こさせません」という発言で判決が変わるとすれば
全ての犯罪者は、真摯に反省し、再犯しないという前提に、社会が動くことになります。
このことは被害者にとっては、許し難いことであり、非現実的であり、社会の根幹を揺るがせます。
よって、心情としては理解出来てもルールに当てはめることは、困難かと思います。

死刑制度が、犯罪の抑止効果を生まないことは、事実が証明しています。
凶悪犯は増えこすれ、減ってはいません。

駐車違反の摘発、刑罰の強化に取り組んだ成果は出ています。
それは、駐車違反をする人には、その瞬間「違法行為だ」という自覚があり、
検挙された結果が想像されるからです。

逆に、同じ交通違反でも飲酒運転が無くならない理由は、運転者自身は、
ハンドルを握る時点で飲酒していて、駐車違反のように自分を客観し出来ません。
欧州で使われている、飲酒者の吐息からアルコールが検知されるとエンジンが掛からない車の
導入が、このことの実証を示しています。

不謹慎な例え話ですが、殺人は、交通違反における、飲酒運転の状態、つまり、
自分の客観視出来ない状況にある可能性が高いということです。
よって、死刑制度が、犯罪抑止には、なりません。多くの人が飲酒運転が違法であり、
現実に危険なものと知っていても無くならないように、人を殺すことを、良かれと思っている人は
少ないでしょうし、もし、そう思っていない人は、すでに社会的にはに酩酊しているのかも知れません。

この記事を書くキッカケは、杉浦法務大臣の発言からです。彼の言葉は
「自動的に死刑は執行されるべき」と、とれえられているようですが、
本人の意志はそうではないとも聞きます。

何故、私が、この発言から、この記事を書くかと言えば、死刑の無意味さを感じている私に
もうひとつ感じる不条理があります。それは、死刑を待つ、犯人の気持ちは、その人が犯した罪への
あがないを超える苦痛だと思うからです。

何故、法務大臣のサインがいるかを、私はこう考えています。三権分立の日本に置いては、
立法府が、国民の意思を代弁するという意味において、司法、行政より、優位な立場にあります。
各大臣は、立法府の代表である内閣総理大臣に指名されています。
つまり、間接的ですが、国民の意思を代弁する立場にいます。
死刑という、最も思い刑罰の執行に対して、司法が、国民に最終確認を求めているのが
法務大臣のサインだと理解しています。

ここで、改めて、裁判のやり直しを、するべきかどうかを問うてはいないし、
もし、そういう意味なら司法の独立が揺らぎます。

よって、このサインは、死刑囚がたどってきた道を、最終的に見直し、
違法性がなかったかの確認だと考えています。

立法府が関わるもう一つの理由は、多くの裁判には長い年月を要します、その間に
国家や国民の価値観が変わった仮定します。しかし、その変化に対応する法は、まだ成立していない、
たった今、国会で審議されていたり、まもなく、そうなるであろうことがあった場合、
死刑を見直す必要が出ます。この機能は大事かと思います。

私の結論は、あくまでも死刑制度の廃止ですが、現状も、また許し難いと思います。
よって、暫定的には、法務大臣が死刑執行にサインする際の規定を決めることは大事だと思います。
例えば、冤罪にありがちな、初動捜査に関わった警察、検察のミス、このことが無かったかを
確認する為の、何らかの検証システム、また、先に述べた、日本社会の価値観に関わることが
起きてはいないかという、確認、特に死刑判決の背後に時代性がある場合には、必要でしょう。
本来あるべき半年後の死刑執行に向けて、これらのことを、行政のシステムに盛り込むことが
必要なだけだと思います。

2007年10月16日 政治 トラックバック:0 コメント:0

不都合な真実、その続きが知りたい

ゴア氏が、ノーベル平和賞をお取りになったそうです。
彼の言動の裏、表が批判されていることは知っていますが、
環境問題に無関心だった人を啓発したことは、評価に値すると思います。

私が書く、その続きとは、温暖化を正視し、具体的な方策を練り、実行するということの続き、
または、平行して行わなければ、ならない、生き延びる対策です。

地球全体が、何万年というサイクルでは、暖かい時期と寒い時期があったことは、
ほとんど、異論がなさそうです。また、今、地球が暖かくなっていることが
このサイクルに起因しているという点でも、異論はなさそうです。
であれば、暖かくなることを防ぐ限界点が、何処かにあります。
その時、どうやって生き延びるかも、検討し、具体的な方策をとらねばならないと思うのです。

ツバルという国が、すでに海面上昇で、国土を失い始めていることは有名ですが、
このことは、対岸の火事ではないと思います。
日本も、決して海抜が高い国では無いし、島国というくくりでは、ツバルと同じです。
果たして、海面上昇に伴う被害と対策に取り組んでいる方々はいるのでしょうか?
まだ、私は、調べ尽くしてはいませんので、どなたか、情報をお持ちなら、教えて下さい。

ある気象予報士が「今の計測機器と、コンピューターが、100年前にあれば、
天気予報があたる確率は、とても高くなる」といっていました。
温暖化で起きると予想されたことが、早く起きたり、遅く起きたりしています。
このことは、先の計測機器の問題から考えるに、100年前の気象状態を
どれだけ、正確に記録されているのでしょうか?
このことも、私は調べきってはいません。どなたか、お知恵を貸して下さい。

2007年10月13日 政治 トラックバック:0 コメント:0

テロと戦う、その前に…

先ほど、テレビ番組で、「テロとの戦い」に関して、議論がかわされていました。
テロを巡っては、様々な要素があり、決着はつきませんでしたが、
忘れてはいけないことがあると思うのです。
「人を殺したくは無い、殺されたくも無い」という単純な感覚です。
特に、幸せな生活を送るために作られた「国家」という仕組みが人を殺すことは
その成立の理由と矛盾します。
先の番組で、ペルシャ湾の治安を守らなければ、石油が安定して供給されない、
その為の警備に、自衛隊は参加出来ないから、せめて、給油活動をしているのだ
と、石破防衛大臣が言っていました。
確かに、石油がなければ、この国は成り立たないでしょう。
でも、そのために人が死んでもいいとは言いたくない、私は。
誰かが死ななければ、石油が手に入らないなら、人を殺す前に、
石油の必要が無い社会が作れないか?
命を差し出さなくても石油を手に入れる方法はないのか?
タンカーを襲う人達と話す機会はないのか?
「戦う」つまり「死ぬこと、殺すこと」を前提に石油を手に入れる前に、
もう少し考えませんか?
甘い考えです、机上の空論です、偽善かもしれません。でも、考える意義はあります。

太平洋戦争が終わって61年目、幸いにも、日本という国家は、
その意思で、人を殺してはいない、死刑を除けば(僕は死刑制度にも反対です)
この61年を大事にしたいのです、私は。
何故なら、戦争で、多くの人が死にました、日本人も、アメリカ人も、軍人も、民間人も、
そして、その死を、どう受け止めるかさえ、まだ、結論にはいたっていない、
残された人たちは、その死を記憶しています。
その上、また、誰かを殺せば、何か遺恨を残す。その遺恨が、次の死を呼ぶと思うのです。

もう誰にも死んで欲しくないし、誰も殺したくは無い、という当たり前のことを前提にして
自分が、国家が、生きていく道を探すことは、不可能ではないと思います。
そして、それを続けることが、何か、また、命を賭けなくてもいい状況を作る気がします。

最近、入手した情報で、愕然としました。それはすでに2名の自衛官が
テロ特措法に関わる行動の中で死亡されているそうです。
幸い、戦ってお亡くなりになったのではなく、事故死、病死、という発表のようですが、
事故原因や、病死が業務と関わりはなかったのか、きちんと調べてから、
新たな、国際貢献を考えても、遅くは無いと思います。

2007年10月13日 政治 トラックバック:0 コメント:0

みなさん、これ以上、沖縄のみなさんへ迷惑をかけるのは止めましょう。

このところ、政治、経済、国際問題が、次々と起こり、忘れらていますが、

「文科省は「集団自決」に関して今回から、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定。」

このことに、沖縄の人々が怒り、悲しんだことは、一過性の問題ではありません。
沖縄は、元々は、ご存じのように、琉球王朝という国家でした。
その国のあり方に、口を挟み、実際に彼らの生き方を変えたのは、日本人です。
そのことは、良いこともあったでしょうが、今現在振り返れば、
日本人が等しく受けなければならなかった困難を、一手に引き受けたと言えます。

太平洋戦争で、沖縄が日本攻略の要として、連合国からの攻撃を集中的に受けたことは
地形的には、致し方がなかったと言えますが、予め予想された、その攻撃に、
日本軍は、そして日本人は、どう対処したのでしょうか?

最近話題となった映画の舞台となった硫黄島は、東京への爆撃拠点として、
連合国には必要であり、逆に言えば、日本軍は、首都東京を守れなくなる、
という認識の元、島民を避難させ、島ごと、要塞とし、守備隊が帰国することを禁じました。

それに比べ、沖縄には、確かに軍艦大和を代表する、「特攻隊」が投入されましたが、
そこで、沖縄島民に、避難勧告はなく、逆に、共に戦えと教えました。

結果的に、多くの島民が亡くなり、しかも日本軍は敗走し、米軍占領後に、逃げ遅れた
日本軍が、不条理にも、連合国に収容された島民を殺した事実もあります。

ここまで、踏みにじられた沖縄の人々は、その後の米軍統治下で、
「朝鮮特需」で浮かれる本土とは、逆に、更に苦しんだのです。
そんな中、沖縄の人々は、本土復帰が、生活の改善の方策と考え、努力しました。
確かに本土復帰はしましたが、全くの言葉だけの復帰であり、米軍に極東の浮沈空母として
沖縄を差し出したのです。

「日本」の一部となって依頼、沖縄に、何か良いことを「日本」はもたらしましたか?
僕は残念ながら、「Yes」とは言えません。
その上、歴史まで、改ざんされようとしている。
こんな状況で言えることは、沖縄の皆さん、これ以上、本土の犠牲になる必要はありません。
全ての基地を無くし、この60年間、日本国が与えた苦痛への代償を要求しましょう。
そして、本土にいる我々は、そのことへの最大限の努力をしましょう。
沖縄の皆さんの意志が「琉球王国」の復活なら、それも、応援し、
基幹産業のない、沖縄に、経済的な支援もしていきます。
どうか、もう我慢はしないで下さい。そして、本土で暮らす皆さん、
沖縄が、担ってくれた、今日の社会の獲得への犠牲を直視し、感謝の意を表し
沖縄が暮らしやすい、少なくとも、本土と同じ環境を得る努力をしましょう。


2007年10月11日 政治 トラックバック:0 コメント:0

医師不足の解決に必要なこと、とは

医師不足に関して、舛添要一厚生大臣は、「根本的な改革が必要である」とコメントしました。
私も、医師不足は最優先な、日本の、日本人の問題だと思っていますが、このコメントを
みなさんが、どう理解したかに不安を覚えるので、私なりに整理してみます。

みなさんは、医師が高給を取ること、社会的な地位として「先生」と呼ばれることに関して、
「医師になるには、金がかかる、だから金持ちの子供からしか医師は生まれない」
という閉塞的な感覚をお持ちではないでしょうか?
確かに、医師の育成には多大な金銭がかかりますが、医師は社会に必要な職業であるから、
その育成には、公費、つまり税金を投入しようという意識をお持ちの方は少ないかと思います。
前記の閉塞感を打ち砕くためには、医師になりたい人には、等しくチャンスが与えられる仕組みが必要なのです。そして、国民が、その仕組みを要求しなければならないのです。

もう一つの閉塞性として、医師の世界全体の閉塞性があります。
学閥や医師会の仕来りにより、医師や医療機関が、新たな挑戦に挑みにくい環境を
無くさなければなりません。

また、保険点数制の根本的な見直しが、最も根
本的な問題かと思います。
良き医療を目指す、医師や医療機関の努力が、収入とは比例しないということ、
逆に、高い収入を得たければ、医療を提供する側の裁量一つで変わるということ、
これらの矛盾を解決することが、最も困難かとは思います。
何故なら、
日本国憲法第25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を
営む権利を有する。」
および第2項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び
公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
に基づき作られた仕組みであり、ある意味機能していて、
簡単には、根幹の見直しが困難だからです。

この問題の解決が困難のは、国民が、自主的に、医療全体を見直し、
医療を受けられて当たり前という、意識を変えて、本当に憲法に保障された
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む」が実践されているかを
追求しなければならないのです。

この当たり前の、望む社会の実現には、努力が必要だという感覚を持ち、
実践に移すことが、最も、必要なことです。






2007年10月11日 出来ること トラックバック:0 コメント:0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。