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中国共産党 ~いつまで保つか?~

本日(10月8日) ノーベル賞委員会は、ノーベール平和賞を
中国の民主活動家である劉暁波氏に授与すると発表しました。
同時に海外メディアは、劉暁波氏にノーベル平和賞を授与すれば、
中国政府がノルウェーとの関係悪化を招くという圧力をかけていた事を報道し、ノーベル賞委員会も、その事実を認めました。
中国政府は国際社会に公式に、この授与に否定的な見解を示しました。
国内メディアでの報道規制があることを、海外メディアは伝えています。

尖閣の事件以来、中国共産党にとっては、当然の行為だが国際的には
批難を避けられない、決断をし行動に移しています。

私は、第二の天安門事件勃発を危惧しています。
何故なら、中国共産党の言動は、中国国民に利の無いものだからです。
また、貧困層から、富裕層にまで影響のある言動であることも危険を
増大させています。

長いこと問題になっている、実質的な中国元の固定相場制は産業界では
受け入れやすいことでしょう。しかし富裕層にはマイナスな要因です。
自分の資産が実際より、低く見られるのですから。
国内メディア規制も、単純に反政府論へはつながらなくても、政府への
不信感はあるでしょう。
まして、農家は相変わらず貧困で、北京オリンピックでの建設ラッシュ
を機会に上京し、出稼ぎ労働者となった農家の若者は、今、
どうしているのでしょうか?
日本の漁民が「不安があって尖閣近辺で漁が出来ない」と訴えています。
同じ不満が、中国の漁民に無いとは言えないでしょう。

そんななか、劉暁波氏の栄誉に蓋をする。明らかに煮えたぎった鍋に
無理矢理、蓋をすることであり、鍋ごと爆発しないかと危惧します。

勾留理由不明のままの、フジタの方。人数は定かではありませんが、
拿捕され勾留されているベトナムの漁民、この国際的には非人道的行為
への批難が、鍋の爆発に寄与します。

「単に一部の暴徒が出て、軍隊での鎮圧、それだけだろう」と簡単に
切り捨てられるのでしょうか?
天安門事件が起きた1989年の中国と今では国際的立場が違います。

私が危惧する具体的なことは、まず、日本への制裁行為でレアアースの
輸出停止を躊躇無く行ったことで、今後、中国との貿易で安全策をとる
国が増えます。具体的方策はそれぞれでしょうが、極端な例は、
日本の産業界がレアアースに頼らないモーターの開発を本格化した
と聞いています。その延長上には、中国との貿易の縮小が考えられます。
先進国にとって、中国は大事な市場です。貿易に不安があるままでは、
中国にも利が無いが、先進国も同様です。
FTAが進む国際社会に為替の問題も含めれば、中国との貿易に利を
見いだせないと考える国があってもおかしくありません。
結果的に中国が繁栄しないなら、期待出来る市場ではなくなります。
これが、私の危惧の1点目。
次は、天安門事件を越える大規模な政治活動です。これも帰結点は、
最初の不安と繋がります。貧困層、大学生など知的エリートのみならず、
すでに富を得た富裕層にも、損益のある選択肢を中国共産党は
とりました。つまり、次に政治活動が活性化すれば、全ての国民を
敵にまわすことになります。
果たして中国共産党は国家を支えられるでしょうか?

中華人民共和国は、1949年に誕生した建国60年程度の若い国家です。
その事を考えに入れれば、次の天安門事件を制することが出来るか、
私には疑問であり、その結果が国際経済には負の材料と成る事が
気がかりです。



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2010年10月08日 考える トラックバック:0 コメント:0

ねじれ、っていうの止めましょう ~世論操作?~

再度、『ねじれ国会』という言葉の使用を止めて頂きたく思い書きます。

谷垣氏は民主党が望む事前協議に対して
「まだ与党案が具体的に提示されていない、事前協議と言っても
何を話し合うかが、わからないままでは意味が無い」という
主旨の発言をされました。
確かに国会で話し合えばいいだけのことです。ただ、それでは野党は
「反対、反対」とだけ叫び、参議院否決。衆議院での三分の二可決
などしようものなら「民主党の横暴だ」って流れが見えています。
有言実行内閣としては混乱で予算案が成立しないままでは、
国民の批判を受けるではないかという危惧から事前協議を言い出した。
そう理解しています。

谷垣氏の発言を聞いて、シャドウキャビネットまで作った自民党の
補正予算案は無いのですか?と問いたくなります。
それがあれば、臨時国会で与党案と自民党案の、良い部分をとった
第三の案が生まれます。
議会で話し合うって、勝ち負けでは無く、何が最善かを話し合う場
という常識は無いのでしょうか、日本には。

国民の投票結果が民主党に衆議院過半数の議席を与えました。
選挙が終われば、基本的に過半数を占めた民主党案が国民の意思とは
言えますが、国会の具体的な進行まで予測して投票は出来ませんから、
民主党案を重んじながらも、改善点を探ることが、野党の仕事です。
丸ごと、民主党案に反対では国会審議に意味がなくなります。
逆に選挙結果通り民主党案が国民の過半数の支持と考え野党も賛成可決。
これでもないですよ、当然ながら。
投票は「与党の進行に各党合わせて下さい、以下余白」って委任状では無い。
国民の幸福に努力して下さい、という支持ならぬ
《指示》を示したものと考えても間違いではないと考えます。

そこから考えられる野党の言動は、与党案に重きを置くが、見落としが
無いか、与党の誤解はないかとチェックして、より良い予算案・法案を
作ることです。
《ねじれ》という言葉の意味から言えば与党、野党が存在している段階で
《ねじれ》ていますが、話し合う意味を正確に理解し議事進行すれば、
《ねじれ》は、何ら国民の不利益ではありません。

参議院と衆議院の関係も、選挙の意味を正確に理解していれば、
衆議院で民主党案が可決されたから、参議院という、自民党が過半数を
占める議会では自動的に否決では、当然ながら、ありません。

選挙方法の違いで選ばれた参議院議員も、
「与党の進行に各党合わせて下さい、以下余白」と委任されていません。
ただ選挙方法が異なる形で選ばれた議員ですから、衆議院では気づかなかった
欠点を探して、参議院で修正可決して下さい、ってだけかと思います。
民主党も、原案と異なっていても、過半数にはならなかった国民の目線で
修正されたのだと理解して頂きたいと思います。

繰り返しますが《ねじれ》は、何ら国民の不利益ではありません。
マスコミが、まるで異常な事態のごとく扱うから、国民は迷います。
米国で議会と大統領が違う党に所属していることは、よくあります。
オバマ政権もそうです。大統領の裁量権が内閣総理大臣より
はるかに大きいのですから、《ねじれ》は大問題ですよ、
日本風に考えればね、しかし、《ねじれ》とは言わない
「大統領には厳しい状態になりましたね」って程度で報道してきたハズです。

日本も、同様に扱って下さい。
もし、出来ないなら、世論操作と呼びたくなります。

マスコミ、議員の皆さん、公務員のみなさん、自分たちが
何故、そこにいるのか、再度、ご確認下さい。



2010年10月02日 考える トラックバック:0 コメント:0

〔切れる〕大人 ~教育、育児の問題を超えました~

Yomiuri Online (2010年9月2日13時54分)によると

2日午前11時55分頃、和歌山市二番丁の和歌山地方検察庁の
庁舎内1階廊下で、同地検の丸尾吉秀検察官(40)が、
兵庫県西宮市の三好昌之介容疑者(82)に、包丁(刃渡り11センチ)
で切りつけられた。

居合わせた男性司法修習生が三好容疑者を取り押さえ、和歌山県警の
警察官が傷害容疑で現行犯逮捕した。丸尾検察官は左腕に
切り傷を負ったが、軽傷という。
和歌山西署などの発表によると、三好容疑者は、2008年5月に、
経営する旅館に放火したとして、非現住建造物等放火罪などで、
8月2日に和歌山 地裁で懲役6年の実刑判決を受けた
三好なるみ被告(45)の父親。なるみ被告は一貫して
無罪を主張しており、控訴した。丸尾検察官はこの事件を担当していた。
調べに対し、「検察に恨みがあった」と供述しているという。

「切れる若者」は、すでに社会問題として認知され、
議論・対策立案が検討中です。
しかし、今回の事件、容疑者、三好昌之介氏は82歳です。
続柄は子供ですが、被告の三好なるみ氏も、45歳です。
「若者」ではありません。しかし犯行の手口は「切れた」と感じます。
刃渡り11cmなら果物ナイフでしょう。検事を殺したいと
計画的に用意したとは言い無いと判断します。
無論、息子の無罪を信じ、いてもたってもいられない心情はわかります。
いままで、こういうケースでは、弁護士を伴い記者会見を開き
裁判では取り上げられなかった事を父親が語り、最高裁まで、どころか
再審請求まで考えているという、父親の子供の無罪を信じる意志の
固さを表現し、無罪の証としてきました。

私は、放火事件の詳細は熟知していませんので、何故、放火したのか、
また、地裁でのやりとりは知りません。
しかし、82歳の男性が検察官をナイフで襲う、こんなことは今まで
あまり見聞きしていません。
日本社会の迷走が、まず若者の心を乱し、ついに、82歳男性の
かつてない、刹那な行動へと繋がったとすれば、重大な社会崩壊の
予兆と考えます。

一連の、親の死亡を届けていない件は、増えるいっぽうです。
これも、外へは向いていませんが
「気を確かに持って、葬儀を執り行い、心安らかに永眠について欲しい」
という、気持ちの整理を必要とすることが出来ないほど、
みなさんの心に「ゆとり」が無いのでしょうか?
それとも、親の年金無しには暮らせないほど、格差社会の固定化が
進んだのでしょうか、どちらにせよ、具体的な対策が必須です。

日本が、日本人が、愚かな方向へ向かってはいないかという
私の危惧が当たったとは、まだ認めたくありません。
そうなって欲しくないので、始めたブログですから…。
私も、もう1段、掘り下げて考え直す時だと痛感しています。




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2010年09月02日 考える トラックバック:0 コメント:1

裁判員経験者ネットワーク 設立 ~裁判員の独立は…~

初めて裁判員裁判が開かれてちょうど1年にあたる3日、
裁判員を経験した各地の市民が交流できる場として
「裁判員経験者ネットワーク」が東京都内で設立された。
9月20日に初めての経験者交流会を開く予定で、
経験者に参加を呼びかけている。
(asahi.com より)
裁判員となり判決を下す。かなりの精神的負担であるのは想像出来ます。
その軽減も「裁判員経験者ネットワーク」の設立理由だそうです。
確かに裁判が終わった後も「あれでよかったのか?」と
悩む方は多いでしょう。
しかし、日本人の国民性に横並びに甘えるということがあります。
「裁判員経験者ネットワーク」は原則、経験者しか参加出来ませんが、
未経験者の接触を固く禁ずる条項はないようです。
そうなりますと、未経験者が経験者に質問する可能性が出てきます。
「こういう場合、どうすればいいですか?」
経験者「心配しなくても、そんな時はね…」と具体的助言をする。
この事で未経験者の精神的負担は減りますが、裁判員制度の意義である
裁判官と違う価値観、目線での判断が、「裁判員経験者ネットワーク」
から得た助言で、横並びになる危険性はありませんか?

無論、この助言を求める事も与える事も守秘義務違反であり、
「裁判員経験者ネットワーク」は否定するでしょう。
しかし、実際には個人的関係性が生まれれば、歯止めが効きません。

私の考えでは、はじまってまだ1年の裁判員制度の独立性を保つ為には
「裁判員経験者ネットワーク」は、危険性を含みます。

裁判員経験者の心のケアは、法務省に窓口を設置、
はじめて選ばれた方には、独立性を維持して頂くか、棄権して頂く。
裁判員制度への評価は、第三者で行う。

まだ、まだ、そういう時期かと考えます。

「裁判員経験者ネットワーク」
http://saibanin-keiken.net/



2010年08月04日 考える トラックバック:0 コメント:0

“人は慣れるものです“ ~即身成仏~

昔々、家族が集まってテレビを見ていた時代。
キスシーンなどがあると、一瞬にして空気が固まったようになりました、
しかし、長くは続かず、コマーシャルに反応して、父親がひと事言うと
その空気は溶けました。

今回の事件、年金欲しさで死亡届をださなかったのでは?という疑いが
あるようですが意外と計画性のないものではないでしょうか?
孫の言う通り「即身成仏」に成りたかった祖父。
ご飯の時間になっても食卓にあらわれない祖父を孫が気遣って
「おじいちゃん、呼んだほうがよくない?」と聞くと、母親が
「いいのよ、好きにさせれば、お腹がすけば出てくるわよ」
という会話が、数日、続く。しかし、祖父はあらわれない。
孫が「やっぱり心配だよ」といい母親が「じゃ、私がいくわよ」
と祖父の部屋にいくと、扉は動くが何かが邪魔して開かない。
食卓に戻った母親は「中になんか置いてんのよ、扉があかないの
好きにさせればいいわ」と少しいらついた言葉を投げかける。
食卓の空気は、一瞬固まるが、父親が見ていた、野球で
ホームランがでて「おっ、今日は勝てそうだな」で日常へ。
孫も、孫なりに忙しくなり、祖父のことは、心の隅へ追いやられる。
母親も、誰もいない時間に祖父の部屋に行くが、扉は開かないし、
声をかけても返事はない。母親は“日頃から頑なひとだから…”と
心でつぶやく。
気がつけば、1ヶ月はあっというま、2ヶ月、3ヶ月と過ぎるが、
異臭がするわけでもなく(←これは私の憶測です)いつのまにか話題に
しないことが、ルールーのようになり、そのルールも半年もすれば
そのルールごと、皆忘れてしまう。

母親は、テレビで都内最長寿などとニュースでみたかもしれないが、
祖父がいない日常が、そのニュースを忘れさせる。

役所から人が来る。とっさに“今更、年金返せって言われても、新車を買うのにつかっちゃたわよ”と愚痴を心でつぶやき、役人には
「会いたくないと、言ってます。ご心配はありがたいんですが、
頑な人で、私たちも神経つかうほどなんです。表彰も、私はありがたい
と思いますが、父は派手なことが嫌いですから、お断りすると思います。
折りをみて話しておきますから今日のところはお引き取り願えますか?」
役人は帰るしか無い。
その晩、母親は、夫に昼間の出来事を話す。夫は怒ったように
「何だよ表彰って、ありがた迷惑だな、だいたい、じいさんが
自分で部屋から出てこないんだ、こっちに言われてもな…
なぁ、あれから何年経つ、10年か?もっとか?」
母親は「覚えてないわよ」
夫は「年金、使っちまったんだろ」
母親「他人ごとみたいに、あなたが新車が欲しいっていうから…」
夫「俺のせいにするなよ、お前だって賛成したじゃないか…」
話題はすり替わる。

人は、どんなことにも慣れてしまうものです。
例え、死、でも。
年金の不正流用は、違法ですが、人の心の残酷さを浮き彫りにした
事件ではないでしょうか?
この事件こそ、裁判員制度で裁き、平和に生きている人たちが
どこまで自分のなかにある残酷さを、さらけ出して話し合うか
そこが注目点です。




2010年07月30日 考える トラックバック:0 コメント:0

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